america of 広小路クリニック

アメリカ南部へ小さな旅

2005年8月夏休み。娘を訪ね、アメリカへ旅行しました。

シカゴで乗り換え、ナッシュビルへ。


長女が2004年9月からヴァンダービルト大学へ留学していたので、昨年(2005年)8月、クリニックの夏休みを使って訪ねました。ナッシュビルはア メリカ南部にありテネシー州の州都で、人口約57万人。ダウンタウンには高いビルも立ち並ぶ都会ですが、長女のアパートメントは郊外にあり、のどかな所でした。ナッシュビルはカントリーミュージック発祥の地で、(Country Music Capital of the World)と呼ばれているそうです。最後のデイナーをナッシュビルのレストランで摂った時、食後にバーに案内され、そこでは生の演奏を聴かせてもらいました。

事前に娘と何度も打ち合わせをしました。こういう時インターネットの利便性を痛感します。ガイドブックを購入して、体力と相談しつつ、最終的に小旅行はテネシー州の北隣のケンタッキー州にある『マンモスケイブ』と南隣のルイジアナ州にある『ニューオーリンズ』あとはナッシュビル市内で大学と市場やスーパー マーケットを見学したい、とメールで伝えました。

フライトは成田空港を8月13日14:20でした。三島駅を午前9:30のひかりに乗り品川駅で成田エキスプレスに乗り換えます。これはアメリカ人に教え てもらったのですが、東京駅で地下2階まで延々と降りていくより確かに歩く距離が少なく良かったです。それにしてもフライトの5時間前に家を出るのは『日 常からの脱却』のためには仕方がないのでしょうが、ため息が出ます。 

そして先ずはシカゴまで12時間の長旅です。でもあら不思議(?)到着は同じ日の午前11:50なのです。得した感じですが帰りにしっかりその時間分を請求されるので、全然得はしていないのですが、でも得した気になるのは変ですね。シカ ゴはアメリカ北部の代表的な大都会です。私にとってはアルカポネなど映画の世界です。

ハワイとグアムしか行ったことがなくアメリカ本土へ乗り込むのは65 年振り(?)なんですから、とても緊張しました。娘からも「シカゴのオヘア国際空港はやたらに大きくて乗り換えに十分注意して、それから電光掲示板を始終見ていないと予告なしに国内便がキャンセルになるからね」と警告メールがきていたので、乗り換え便も実は直前に1便遅らせてもらい、何と約4時間待ちとなりました。

預けたバッケージをシカゴで一旦受け取り、ドメスティックの方で預け直し、それからシャトル電車に乗り目的のゲイトに行くことになっていました。荷を預ける時航空券を見せて2番の駅で降りれば良いと聞いていたのですが、降りてすぐ案内役のように立っていた黒人女性に同じことを聞くと、「ノー、 この電車で1番ホームだ。」という。

電車で一緒になった日本人の若い女性と顔を見合わせて「いや、2番ですよね、行きましょう。」と無視してエスカレーターを登りました。彼女は航空券を握りしめて「わたし、時間がないので走ります。」と別 れたが、やはりわたし達が正しかったことは直ぐに分かりました。バッケージ係りの白人女性と案内係りの黒人女性とどちらの言うことが正しいかを一瞬の間に 判断するのは、直感というしかありませんが、「旅なれているかどうか」が大切です。  
トランジットに十分な時間をとっていた私は、トラブル無しにナッシュ ビル行きゲイトに着いてしまったので、本を読んで時間をつぶすことにしたのですが、1時間毎に電光掲示板を確かめにいかなければなりません。これが一人旅 の不便さです。

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その都度荷物を担いで行かなければなりません。やっとゲイトが開き搭乗、約1時間半でナッシュビル国際空港へ到着。結構立派な空港で順路に従って行くと、向こうに長女と3日早く到着していた次女を見つけて、すっと肩が軽くなりました。

やはり緊張の連続だったのですね。長女の車で代謝酵素を研 究しているS教授のお宅へ直行。北大医学部から留学しているジュンちゃんという女医さんも招待されており、ホームパーティーが始まりました。日本語と和食 のもてなしを受け<楽>で楽しかったです。

ヴァンダービルト大学へ

翌日はゆっくり起きゆったり朝食を摂ってから、歩いて大学の研究室をのぞきに行きました。キャンパスは広く、リスが木登りをしています。鉄道王だったヴァンダービルトさんの銅像前で写真におさまり、アメリカンドリームで成功した人は大学を寄付してしまうんだ、日本人も真似すれば良いのに、と思いながら銅像と並んで娘とスリー(?) ショット。日曜日で研究室の中は人っ子ひとりないのに冷房が廊下も含めて利いていました。
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ケンタッキー州、マンモスケイブへ

三日目は長女の運転でマンモスケイブ国立公園へ自動車道路を北へ真直ぐ約2時間走って到着。今回の小旅行で強く印象に残った一つはアメリカは想像以上に 車社会であること。片側4車線が普通で、右折または左折する車は中央に待機する車線があるので、信号が無くてもあまり恐いとは思わない。時速は表示に50とあるのは50マイルだから、およそ 時速80kmでありメーターは大抵50〜60マイルを指していました。

ほとんど総ての車線を車が走行しているのを見て「車社会」を実感したわけですが、それは同時に「石油依存社会」を意味しているのだと思いました。日本に帰ってから私はトヨタのプリウスを購入しましたが、今アメリカではプリウス人気が非常 に高くウエイティング状態だと聞きました。


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さて、マンモスケイブはその名の通り、世界最長(560km以上)の洞窟で見学できるのはそのごく一部ですが、自然保護のため見学はビジターセンターから 出発するケイブツアーに参加しなければならない。案内人は列の前と後に居て、最後尾が通 り過ぎると照明を消しているのも、暗闇で生息する動植物の保護のためだそうです。

私達は2時間コースを選んだのですが、途中で広場のようなところで説明を 聞くところがあるのですが、予告無しに全ての明かりをもう一人の案内人が消したのです。その時の<暗闇>は太古のそれで、長いことこんなに「暗い暗闇」は経験していないな、と恐さより懐かしさを感じたのは不思議な体験でした。
わずか1分間くらいだったでしょうか、案内人がライターを着火しました、ああこれは「太古の松明」だと演出の巧みさに負けました。 (写真4,5,6)

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また、ナッシュビルのアパートメントに戻りました。ここは20畳ほどの広いリビングと小さなダイニングに2つのベッドルームがあり、冷蔵庫、ベッド、バカ でかいソファーと衣装タンスなどは最初から付いていたそうです。家賃は1000ドル(10万円)でした。

留学生は毎年入れ替えがあるので、生活に必要なものはお互いに譲り合うのですが、娘は1997年式のカローラを35万円で購入したが日本人が乗っていたので修理を要するところはなく、帰国にあたり27万円で中国人の女性に売ってきました。
新品のテレビと中古の電子レンジを付けての値段で、それでも値切ってきたけど突っぱねたということです。同じ大学の留学生でもポンコツ車を売り付けるアジア人の話を身近に聞いたそうです。

ジャズの聖地、ニューーオリンズへ

渡米5日目はナッシュビル国際空港からルイ・アームストロング・ニューオリンズ国際空港(2001年夏にこの町が生んだ偉大なジャズマンに敬意を表して改 名)まで約1時間で移動、航空運賃は早割り往復で一人60ドルと日本の格安チケットの半額と安い、なぜ? タクシーでダウンタウンへ。運転手は黒人でエア コンが作動しないような汚い車で、しかも高い料金を言ったので、長女が文句を言ったら少し安くなり、ちょっと恐い感じがしました。

ニューオリンズ(New Orleans)は18世紀初めに誕生したのですが、その名は当時領主国であったフランスのオルレアン公から取ったもので、ルイジアナ州は太陽王と言われ たルイ14世から取ったものだそうです。今でもレストランのメニューはフランス語で書かれていますが、次女がフレンチのシェフなので助かりました。
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オムニ・ロイヤル・オルレアンズ・ホテルはフレンチクオーターの中心部にありひと休みすると、直ぐに街へ繰り出しました。その名も「バーボン通 り」がメインの通りで、そこまでは2、3分で歩けます。初日のディナーはレストランで「クレオール料理」を注文しました。格式があるお店なので、シェアし ていいかどうか最初に聞くとOKだという。三人で何でもシェアできるのが小食の日本人にはありがたい。

しかし「ガンボスープ」は小さめのコーヒーカップのサイズなので、三人で思わず顔を見合わせてしまいました。ガンボとは西アフリカの言葉でオクラのことで、具にシュリンプ、カキ、ソーセージなどが入ってお りどろりとした味も濃厚なスープなので結果的には三人で回してちょうど良かったです。
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ジャンバラヤはルイジアナ風炊き込み御飯でガイドブックにあるので是非にと思ったが、残さず食べたいという程ではなかったです。昼間、オイスターバー のような気軽なお店では生ガキ(オイスター・オン・ザ・シェル)を食べましたが当地の名物です。レモンかケチャップを付けて食べるのですが、1ダース6ド ルと安い。(写真8)

夜のライブハウス


夕食を済ませたら街の散策です。バーボン通 りは新宿歌舞伎町のように猥雑で楽器の音が最大ボリュームで流れて来るし、店の中では男女が踊っているのが見え るという歓楽街です。でも治安に対する不安は全くありません。

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ニューオリンズで最も有名なジャズの店はプレサベーション・ホールでしょう。夜8時開場で入場料は8ドル、1回のステージは30分ですが、同じ日なら何回でも出入り自由というのが面 白い。1817年完成の建物は木造で倒壊寸前と言う時代物です。<小屋>という名が似合う。中も木のベンチが5、6台だけで半数以上の人は床に座るか立っ たままリズムに合わせて体を揺すっています。冷房無し、ドリンクなし、写真はフラッシュ禁止です。

フラッシュ無し、三脚無しで撮ったジャズミュージシャン達は、セピヤ色に少しぼやけ思わぬ 画像効果を上げて気に入った作品となりました。曲のリクエストは有料で1ドル、「聖者の行進」だけは10ドルというのが楽しい。

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いわく「毎日このリクエス トばかりでもう弾き飽きた」からだと言う。でも私達は二晩通 ったが私でも口ずさめるあのナンバーは遂に演奏されませんでした。飲み物のあるお店でスタイルの違うジャズ演奏を聞きながら私がオーダーしたのは? バー ボンのオン・ザ・ロックであることは言うまでもありません。

ニューオリンズ2日目はミシシッピー川クルーズ

ニューオリンズの2日目はニューオリンズ美術館へ路面 電車でのんびりと向かいます。(写真13) 停留所で乗り込んでくる乗客の7割は黒人であることに気がつきました。後で知ることになるのですが、ニューオリンズの「アフリカ系住民」の割合 いは7割だと聞き納得しました。

もう一つは男女とも二の腕にタツーを入れている人の多さです。電車の車窓から「タツー承ります」の店を見つけ文化の違いを 思いました。クリニックへ通院中の若い男でC型肝炎の患者さんは例外なく背中に広範なタツーを入れています。アメリカではディスポの針を使うから感染の心配がないと現地の人から聞い たことがありますが、それにしても決して上品なお洒落とは言えません。

午後からはミシシッピー川で所要約2時間のクルーズに参加しました。1600人乗 りの蒸気船です。小雨で風が強くこのリバークルーズは楽しめませんでした。この時、わずか10日後にこの街を全て壊滅させるハリケーン・キャサリーンが 襲撃するなどと誰が想像したでしょうか。私がカメラに納めたミュウジシャンやアイアンレースの建造物はどうなってしまったのでしょうか。自然の脅威と自ら の運命に想いを馳せました。

旅の終わりに

再びナッシュビルのアパートメントに戻り、スーパーや食品市場をひやかして歩きました。印象に残ったのは、<鮮魚はダメ>ということです。名前の分からな い大型の魚が陳列棚の中で目が完全に死んでいるのです。

ほとんど腐りかけているように見えました。食材は日本食、中華料理、インド料理、ベトナム料理、タイ料理、トルコ料理など多彩 であり、その気になれば何でも手に入る感じがしました。お米も山積みになっており、“One bye get one free”と消費者の心を揺さぶっていました。

最後の晩餐は高級レストランで牛ステーキを注文してみました。アメリカの肉は美味しくないと聞かされていたのですが、塩や胡椒の追加も必要なく十分美味しく食べることができました。お値段は日本と同じ程度で、やはりお店とお値段を出せば日本と同じ程度のお肉 に出会えるという当たり前の結論を得ることができた、アメリカ南部の小旅行でした。クリニックの後継者となる長女と午前3時過ぎまでいろいろ話ができたこ とも想定外の収穫でした。
(2006.2.8 66歳の誕生日に)