hohoemi 14-4 of 広小路クリニック



HOME > hohoemi 14-4


bind_01.jpg

NO14-4『ケアマネの助言に感謝、今はサ高住で双方安心』

(県社協 人材育成センター 介護職・研修会で家族として発表)

 要介護度2 被介護者 義母   介護者 嫁

私が介護をすることになったきっかけは?
私の家族はその当時主人の両親・主人・長女・次女・長男は大学生で
家を離れて1人暮らしをしていました。
私は生活に関してはとても恵まれていて、両親は離れに住み廊下で
私達とつながっていました。
そのため、四六時中両親とともに生活しなくてもよく食事も別でした。
両親が元気の間はある程それぞれに生活していましたが、
両親の具合が悪くなると面倒を見るのにはとても都合がよかったです。

平成20年の夏ごろから本格的に主人の父が体調を崩し
介護をしなくてはならなくなりました。
父は心臓弁膜症の手術を受けており人工弁になっていましたので、
薬(ワーハリン)で血液の流れを調節していたのですが、
体力が落ちたため薬の調節がつかなくなり歩くこともままならなくなって
しまい、初めて介護保険のお世話になることになりました。

父の介護のことを家族で話し合いをしたとき、
母は「私は面倒見ません。私まで具合が悪くなると困るから。」
と完全に拒否しましたので、私がほぼ一人で介護に携わることになり、
近所に介護の仕事をしている方がいらっしゃるのでその方に相談をし、
その方の勤めている“そよ風”さんにいらっしゃるケアマネージャーさんを
紹介して頂き相談をしながら介護保険の申請をしました。

なにもわからない私にとっては本当に助かりました。
父の介護に関しては、まだ母も判断能力もありましたので
相談しながらでしたが、とにかく私に負担をかけないようにと
考えてくださったので、ほぼわたしの考えで進めていくことができて助かりました。

でも、施設を探したりすることに関しては、
病気もあるしそのうえ介護度の問題もありなかなか決まらず
完全に寝たきりになってからは精神的にもかなり大変でした。

そのときは、時々声をかけてくださるケアマネージャーさんの
ありがたかったこと今でも思い出します。
父の受け入れ先が老健に決まりやっと入ることになったのに、
入って1週間で肺炎になり病院に移ることになりまたバタバタとした生活にしまいました。
そのころから母の様子が少しずつ変化していきました。
私が病院に行くからと誘っても行かないで家で私の帰りを待っているだけで
なにもしない、冬でしたので座椅子に座ってこたつに入っているだけの
生活になってしまいました。

そのため、父のケアマネージャーさんに相談をして
外に出る機会を作ることを考え、デイサービスにいけるようにするため
介護保険の申請をダメもとでやってみることにしました。
申請をしても主治医の先生の意見書がなかなか提出されなく
3か月以上かかりやっと支援1の認定が下りました。

そのころは父の葬儀も終わり少し落ち着いた頃でした。

母はプライドの高い人でしたが、介護保険のことは余りわかっていなくて
デイサービスは遊ばせてくれるところで年を取ると行かせてもらえるところ
といった感覚でしたので、抵抗がなくとにかく行けることがうれしくてしょうがなかったのです。
父の時とはそこが大きな違いでした。        

母がデイサービスに通うようになったのがH21年の5月から、
本格的に母のことを見るようになりました。
最初の1年半ぐらいは、デイサービスも歩いて10分ぐらいのところにありましたので
そよ風さんと相談しまして行だけ歩いて行かせていただくことにしました。

母が歩けなくなると困るとのことで、家にいると散歩などすることがないので
丁度いいからとおねがいしました。
このころは、まだ自分で着替えの用意・簡単な部屋の掃除・食事の後片づけ
洗濯など、食事の支度は私がやって母のところに持っていくようにしていました。
人に合わせることができない人でしたので自分のペースでやっていました。

デイサービスには、近所のおばあさんが何人かいらしていたし、
自分の同級生も1人いらしていたのでとても楽しく行っていました。
週1回では物足りなく2回にしてほしいとの本人の要望で半年たったころから2回にしました。
なかなかこれも規定があるとのことでケアマネージャーさんに骨を折ってもらいました。
今考えると本当に良くして頂きました。

父が亡くなってすぐ位にかかりつけの病院を変えました。
通うのが大変と近くにもCTのある病院があったのでそちらにしました。
物忘れが多くなってきたのですが、私達も年を取ると忘れるようになってきたので
そのくらいにしか思っていませんでしたが、母が気にして先生に物忘れのことを相談したら
薬を出してくださいました。
それが“アリセプト”でした。

そのとき、副作用でおなかの調子が悪くなることがあるからとの説明でしたので
母に聞きながら飲ましていましたが、特に先生に言われた症状はなかったので飲んでいました。
2か月ぐらい経ったころでした。なんとなくいらいらすることが多くなり、
私に対して少しずつあたることが多くなってきて困っていたとき、
ケアマネージャーさんに相談したら薬の副作用でイライラすることがあることを知りました。
驚きとともに薬の怖さを身に染みて感じました。

このことがきっかけで、専門の病院に行くことを勧められ
広小路クリニックに行くことにしました。
その頃の母は、病院に関しては先生が話もしてくれなくなったと言っていた時
でしたのですんなりと変わることを承諾してくれました。
私自身どうなるかと心配しましましたが鳥越苦労でした。

CT・長谷川式の検査の結果驚きました。
認知症だということは分かっていましたが、
まさかアルツハイマー型だとは思ってもいませんでした。
その時、母も一緒に聞いていました。母も驚いていました。
私と共にショックを受けていました。
それからしばらくの間、「どうしようどうしよう」と言っていました。
この先のことが不安だったのだと思い、その後私に迷惑をかけることを気にかけていたようです。

私は私で、これからどのように母と接していけばよいか悩みました。
普通にしているのが良いと言うことは分かっているのですが、
これから先どのように変わっていくのかが、不安になりました。

人によっていろいろ違うことは分かっていましたから、
私との関係がこの先良い方向に行ってほしいと思っていました。
私と母との関係は、父の介護の時から本当に良い関係になっていました。

嫁に来た時から私に対しては対抗意識のほうが強く、
近所の人が私のことをよく言ってくださると機嫌が悪く、
外出することもあまりよく思っていなくて、
娘がいるせいか何かと比べられ本当に嫌な思いをしていましたが、
嘘のように私のことを思いやってくれたり私のことを頼りにしてくれたりと、
すべて私に任せてくれてお金のことなどで争いになったりすることはありませんでした。

近所の方からは親子の様と言われる位になっていました。
これは、姉もほとんど来なくなったせいもあるのではと思いますが、
私がいないとならなくなってきていました。
なにかあっても、最終的には私のいうことは聞いてくれました。
主人ではとても聞いてもらえないことでも、私ならば大丈夫になっていました。

これは介護をする人にとってはとても良いことだと思います。
私は本当に幸せ者だと思いました。

それと共に私の中にこれから先なんとか母のことを見てあげようという気持ちになりました。
これから先は本当に何とかしなくてはという気持ちでいっぱいでした。
それと同時に、専門の先生にかかっていたら母もこのようにならなかったのではと
後悔することもありました。
とても複雑な気持ちを聞いてくださり見守ってくださったケアマネージャーさんには
とても感謝しています。

支援から介護1になりデイサービスの日にちも増やしていきました。
とにかく家にいると、いろいろな事が不安になりただボーっとしていることが多く
1人でできないことが多くなってきました。
朝起こすことから始め食事もいっしょにすることにし
着替えデイサービスの送りもするようになりました。

夕方帰ってくると話をしながら着替えさせ、TVの前に座らせるまでしてから夕食の支度。
食べさせお風呂の見守りをして部屋の明かりが消えるのを確認してから
自分のことをするといった生活になりました。

そのころです。
広小路クリニックに“ほほえみの会”と言う認知症患者さんを抱えている家族の会が
あることを先生から聞き参加することにしました。
その会に参加すると、私のところは本当に恵まれていることを実感すると共に
私はまだまだだと思うことができました。

気持ちが少し楽になると母に対する見る目が違ってきたり、
これから起こりうることがわかったりと自分の中での整理もできたりと
良いことがありました。

私にとってはすべてが初めてのことですが、ほほえみの会の先輩方は
経験してきたことなのでいろいろ参考になりました。
肩の力を抜いて片手間に介護をすることの大切さ、先生と共に話してくださるのですが
わかっていてもなかなか母との関係が悪くなることが気になり
つい余分に何かをしてしまうといったことがたびたびありました。

なかなか介護は難しいと思いました。

母は、精神的に悩みやすいところがあり1人になると考えすぎたりすると
ねつきがわるかったりちょっとしたことでイライラしたりすることがあったりと
普段はとても良い人なのですがスイッチが入るとしばらく苛立つので、
先生と相談しながら薬の調節をしながら私にとって楽な介護ができるようにして頂きました。

それでも、日々変化していくのでなかなか厄介なところ見ありました。
介護1になった年の夏でした。
母は、温度の調節が昔からうまくいかずエアコンが苦手で暑くても
かけるとすぐに“寒い”と言って止めるように言ってくる、扇風機をかけておくと
やはり同じで止めてしまう。熱中症になるのではないかとひやひやしていました。
毎日のことなのでどうしたらよいかわからなくて困っていました。
いろいろ考えて、熱サマシートをおでこに張ったりアイスノンの小さいのを背中に当てたり、
汗を拭いたり着替えさしたりと奮闘していたら、ケアマネージャーさんがデイサービスを
増やしてなるべく家に居ないようにしたらどうかと言って下さり、
母に話したら“そうする”と言ってくれたので週5回と介護1では目いっぱいの利用となりました。

おかげさまで昼間はほとんどデイサービスでしたので、夜の対策と休みの日のみになりましたので、
平日の午前中は整体に通うことにして午後は昼休みをする、
日曜日の午前中は母と話をしたり爪を切ったり顔をそったりその時に合わせていろいろやり、
午後は昼休みをするという習慣をつけました。

昼休みと言っても夕方まで寝てしまうので私は少し楽をさせてもらいました。
その成果かぜは余りひかなかったですが、季節の変わり目になるといろいろな変化と共に
体力も落ちるので風邪をひき、デイサービスに行きたくない症候群になり大変な時もありましたが、
デイサービスに行かないと自分がダメになってしまうとの思いが強かったので、
5日ぐらいすると復活してかようようになり、私も安心しました。

この年の暮のことです(H23)。
お風呂は時間で声掛けをして2度目に声をかけると出ることにしていました。
私も、声をかけた後正月の支度で忙しくしていて母はお風呂から出て
休んでいるとばかり思っていました。

夜の11頃です。
廊下のガラスをたたく音がしてカーテンを開けるとバスタオルを羽織った母が座り込んでいました。
何があったのか一瞬わかりませんでした。
私が最後に声をかけたのが9時頃でしたので、「出るよ」と言ってから
2時間出たりはいたりを繰り返していたようで体は熱くなっているし、
そこらへんがビショビショで本当に驚きました。

娘がいたので手伝ってもらい、母を落ち着かせてなんとか寝かしつけた後
あとかたず家をしてその場をしのぎました。

次の日はもう何も覚えておらず驚きました。
このことがあり、母の症状は悪くなってきているのだと実感するとともに、
お風呂は1人では無理だということがわかりました。
ほほえみの会やケアマネージャーさんに相談をするとデイサービスで
はいることを勧められるのですが、お風呂に対してこだわりがあり
温度は夏でも43度ゆっくり気ままに入ることでしたので
なかなかお願いすることができなくなくて、私が入れていたのですが
負担が大きくなってしまいました。

その時ケアマネージャーさんから、ためしにデイサービスでやってみましょうと
声をかけて頂き、そよ風さんの職員さんに協力して頂き
やっとのことでお風呂をお願することができました。

でもやはり家に帰ってくるとお風呂に入れないことをないがしろにしていると言われ
何とか方法を考え足湯をすることにしました。
夕食が終わった後着替えをする前に足湯を毎日しました。
それをすることで、母といろいろな話ができ母の愚痴や昔話、
毎日ほとんど同じ話ばかりでしたが精神安定剤のようになっていて寝つきもよくなりと
いいこともありました。
毎日欠かさずで、私の夜寝る時間が遅くなりました。
朝は母を起こすから始めなければならないので早起きをしなくては間に合わないので
本当にめちゃくちゃになってしまいました。

このころ娘の結婚が決まり家庭の中がいろいろ変化していくのに母自身がついていけず、
夜寝られなくて私のところに来たり昼間も訳が分からなくなったり、
何をしたらよいのかわからなくなってしまったりといろいろ変化が出てきました。

最も大変だったのはひ孫が生まれてうれしいのですが私が面倒を見ていると焼きもちを焼くことです。
先にやっていると表情が変わるのです。子供と一緒です。
食事の時に人が食べているのを見ると食べたくなりお代わりをするのはいいのですが
食べ過ぎになって着替えるのが大変になったりしたことです。

人の食べる様子を上目づかいで見ている様子は、なんとも言われない気持ちがします。
思い出しただけでもいやな気分になります。
この年の夏もとても暑く熱中症の心配もあ自分自身に余裕がなくなってきて
ほほえみの会でたまらなくなり話を聞いてもらったり、ケアマネージャーさんにも
話を聞いてもらったりと、さもない事でも聞いてもらうだけで安心しました。

そんな頃でした。
ケアマネージャーさんより母の今後のことについての話がありました。
とにかく今のままでは家族の生活がままならなくなってしまうから
そろそろ考える時が来たのではないかとのことでした。

私はとにかく今の状態を何とかしていかなくてはとのことが先で
家族のことを考える余裕がなくなっていたようです。

ショートステイを使うことを考えましたが、自分のことを外に出すということは
邪魔だと思い込むような人なので無理でした。
私自身が1番無理だと思ったのは、デパートに買い物に行き車を止めたところを忘れてしまい、
30分ぐらいウロウロ探してしまったここがありその時私もダメになってしまうなーと思いました。
こんなことがあるんだと恐ろしくなりました。
今では笑い話ですがその時は本当にがっかりしてしまいました。

ケアマネージャーさんと話をした後家族で相談しました。
これからどうするかということです。
主人ももうこれ以上は無理だから預けることに関してはいいとのことでした。
私の親ではないのでとても気になっていましたが、よく見てくれたからと言ってもらって
とてもありがたかったです。

子供たちもいいと言ってくれたので安心して母の受け入れ先を探すことにしました。
母の場合は高齢者住宅が良いのではとのことで、ケアマネージャーさんがいろいろ
情報を集めてくださって7・8か所まわりました。

とにかく介護度が低いのとまだ何もできなくなっていないわけではないこと、
デイサービスがとても好きで1人でいるのは嫌だということ、
日曜日に1人でいなくて済むところ、サービスの内容がわかりやすいところなど
母にとって少しでも過ごしやすいところを探しました。

施設によって本当にいろいろ違うのだということを実感しました。
金額的に安くてもヘルパーさんを入れると高額になるとか、
施設に入ると病院からケアマネージャーさんも変えなくてはならなくなるとか
本当にいろいろありました。

時間はありましたのでゆっくり考えて今の施設にしました。
値段的には少し高めかと思ったのですが、デイサービスもあり日曜日も皆さんと一緒に
過ごすことができ病院も変えなくて済みケアマネージャーさんも変えなくて済み
家から近くてすぐに行くことができるということで決めました。

入所するまでにデイサービスを使い、デイサービスからそのまま入所ということを
施設側とケアマネージャーさんと相談して、スムーズに入所となりました。

私もいろいろな事が不安でたまりませんでしたが施設の方を信用してすべてお任せしました。
思ったほどの拒否反応はなく、かえって自分で選んでここに来たと言ったりしていたようです。

初めの2か月ぐらいは帰りたいようなことを言っていたようですが、
今はそのようなことは全くないと言っていました。
私は、とりあえず1か月は合わないで様子だけ聞きに行っていましたが、
2か月目から面会しながら見守っていくようにしました。

家が一番いいと言いますが帰りたいとは言いませんでしたが、
主人と一緒に行った時だけ「帰ろうかなー」と言いました。

その時は施設の方に声をかけてうまく誘導をしてもらい帰りました。
施設に入ってからは夜中に起きることもなく、
眠剤も飲むことなく嘘の様な落ち着いた生活をしています。
これは施設の皆さんおかげだと思っています。
本当にありがたいことです。

先生には2か月に1回往診して頂き施設の方にも喜んでいただき本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
このまま良い方向に行ってくれるとよいと思っています。
これからは家族との時間も大事にしていきたいと思っています。
今までできなかったことを少しずつやっていきたいと思います。
ありがとうございました。