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NO15-5『認知症の夫が暴力化して入院に至った要因についての考察』

  被介護者 夫65歳  介護者 妻65歳

最近になって、娘から、「あの頃、お母さんは、お父さんに怖い顔していたね」と言われて、
背後から頭を殴られたようなショックを受けた。


あの頃とは、2011年、夫が暴力で入院した年のことだ。

2011年は、年初から気持ちが悪いと訴え、トイレの回数が異常に多かった。
いつ、どんな具合に気持ちが悪いのか、夫は詳しい症状を表現できないので、
病院に行っても、なかなか改善の糸口が見つからなかった。

そのうち、体のあちこちが痒い、ふとんが重い、この部屋には寝たくないなどと言い出した。
ふとんを買い換えたり、寝る場所やふとんの向きを変え、工夫してみたが原因は分からなかった。
意思の疎通がはかりにくい夫の体調管理は、私の悩みの種だった。



1月、デイサービスを4箇所見学したが、建物の入り口すら入らず、失敗の連続だった。
夫の体調も悪かっただろうが、この結果に、私はかなりがっかりした。
家に戻って愚痴をこぼした私に向かって、夫は、手元にあったCDコンポを投げつけてきた。
冷静になって考えてみると、私の勝手で愚痴を言ってしまったが、
夫はただ、あんな所には行きたくなかっただけなのだ。


2月には夫がパンを食べたいと言うので私が一人で買いに行き、15分ほどで戻った。
夫はイスや毛布を投げて怒っているので、
つい、「お父さんが食べたいというから買いにいったんだよ」と、強く反発してしまった。

認知症の人に反発しても意味がないだけでなく、余計に混乱させて、
返って介護者の負担が増えるだけである。
ほんの短い時間でも、一人でいることが、不安でたまらないようだ。
それ以来、少し出かける時でも、スケッチブックに行き先を大きく書いて、
私のイスに掛けておくことにした。

3月、夜中に、トイレの蓋を閉めたままおしっこをしてしまい、私を起こしにきた。
今までもトイレの失敗や失禁で、私は責めたり怒ったりしたことはなかった。
トイレの床を拭いて終了かと思いきや、夫はいよいよ混乱し、私の肩を5回ほど殴った。
何だろうとよく見ると、パジャマのズボンがおしっこで濡れていた。

普段の夫が最も嫌っていることだ。この時は殴られた訳が、よくわかった。
トイレの床より、俺の気持ちの悪さをわかってくれよ、と言いたかったのだ。
暴力にも訳があることを実感した私だったが、この年の後半の、物を壊し続ける夫に
対し、その訳を思いやるゆとりがなかった。

ついに徘徊が始まった。一晩を戸外で過ごした夫は、翌日無事に見つかった。
その日のうちに、子供たちがGPS機能を備えた携帯を探してくれた。
以降、徘徊が続いたが、二人分の携帯を常に充電しておくことに留意した。
いつ出かけてしまうのか、はらはらした毎日だったが、振り返ってみると、
外に徘徊していた期間は、意外にも短く、3か月位だったと思う。
追跡するのがしんどかったが、何より事故が無くてよかったと思う。


5月、スーパーで夫が婦人物のショルダーバッグを買いたいと言い出した。
「えー、使わないからやめようよ」と私が制止したので、夫は怒って店を飛び出してしまった。
罰があたったのか、この時はGPSの精度が悪く、その上、追っかけ用自転車のバッテリーが
途中で切れて、追いつかず、夫はバイパス道路を越えてしまった。
のどがからからで、力尽きた私は、派出所に助けを求めて駆け込み、パトカーで探してもらった。


このエピソードを「ほほえみの会」で話したところ、とりあえずバッグを買って、あとで
返品しても良かったのではないかと、適切なアドバイスをいただいた。
本人はバッグを買ったこと自体も、すぐに忘れてしまうのだから、返品も可能だ。
その後、私達は時々100円ショップへ行き、夫の購買欲を満たしてもらうように
していた。

3月に夫の弟が急死して葬儀、亡くなった弟の店の片付けで2カ月が過ぎた。


5月になってやっとデイサービスに挑戦したが、一件目は暴力をふるって失敗。
7月には、知人の紹介で、若年性にも対応してくれる通所を見学した。
緑に囲まれた木造の一軒家で、昭和の頃の実家に帰ってきたような感じがする。
職員さんも利用者さんも大歓迎してくれて、夫は照れ笑いをしている。
「こんな若い人が来てくれてうれしいねえ」と、夫を喜ばせてくれる。
一瞬でその場に溶け込めた。いい感触だ。
久しぶりに私もうれしい気持ちになった。

少し前まで、異常に多かったトイレ回数が激減し、平常に戻った。
徘徊も、ここしばらくはおさまってきている。
相変わらずの便秘続きと、始終ハイテンションの中、いよいよ週一回のデイサービス
が始まり、機嫌よく帰ってきていた。


ところが、8月には身体が傾斜し、腰痛を訴え、デイから帰される日があった。
そして、怒り出すことも増えてきた。
夜中、家の中を土足で、手を叩き、うなりながら歩き回っているので、私は眠れない。
置いてある書類を破いたり、物を投げたり、次第にエスカレートしていった。
私は怖くて、常に外に逃げ出す準備をしておいた程だ。

9月、インターフォンのコードを切り、イスを投げ、テーブルの脚を折りバラバラにした。
これでは、もう生活ができない。私はギブアップし、夫は入院となった。


夫自身の胸中はどんなものだったのだろうか。
自分が自分でなくなってしまう恐怖と戦い、どうしようもない不安、混乱の極みの
なかで、私だけが頼りだったに違いない。
家の中では、いつも私の後ろにくっついていた。
それを、いっときでも、うっとうしいと思った自分を省みると、情けない。
なぜあの時、後ろに向き直って、夫を抱きしめてやれなかったのだろう。
夫の心情を察し、自分も役に立っているという思いを、
満たしてやれなかったのだろうか。

認知症は記憶を失っても、感情だけは残っている。
この残された夫の気持ちを大切に思って、逆らうことなく、
寄り添ってやっていればうまくいったかも知れない。


失礼なことを言わないように気をつけてきたつもりだったが、
しかし、私は怖い顔をしていた。
私は限界だった。
もっと早くデイサービスを探して、私自身が楽な介護をしていれば、
夫にやさしい顔で接していけたと思う。

同じような立場に立たされた方々には、できるだけ早く介護保険の申請をして、
通所などを探し、試して欲しい。必ずみつかると思う。
その後、いざという時のためにも、ショートステイに慣れておきたい。
若年性の場合、進行が早いので、早めの対策が、必要不可欠だ。

家族が、介護を離れる時間を確保することが、大切だと思う。
介護サービスは、介護者の息抜きのためにあるのだから‥‥。

ほほえみの会で教えていただいた数々の対応の仕方も、余裕の無くなった私は、
実践できなかった。
やっと、最適なデイサービスが見つかった時だっただけに、残念でならない。


[木野医師のコメント]

M.Mさんは若年性アルツハイマー病で発症して比較的早期に当院へ来院され、
ほほえみの会にも早くから出席してくれており、奥様の愛情あふれる介護で順調に
経過していたと思っていたら、ある日から徐々に徘徊や家庭内での不穏・暴力が始まり
あっという間に、精神科・認知症治療病棟へ入院することになりました。

どう考えてもこの介護者のもとで「なぜ?」と疑問がわき、
奥様に「在宅介護が困難になった経過、理由について考察してほしい」とお願いしました。
大変辛いことですが、このような立派な考察を文章化していただきました。
貴重な教訓を頂き今後の診療に生かしたいと思います。