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NO15-1『嫉妬妄想から遂に直接暴力、特養入所を決心』

 要介護度5(レビー小体型認知症) 被介護者 夫89歳  介護者 妻83歳

現役時代の職業は、土木建築請負業
息子2人、娘、みんなそれぞれ独立しています。

広小路クリニックにお世話になって、三年余、現在も継続中です。
検査結果、病名はレビー小体認知症でした。
当初、夫は木野先生に握手してもらったと、次にお合い出来るのがうれしくて、大変上機嫌でした。
一年余はこんな状態が続き、何時もにこにこと可愛い夫だなぁという思いで、なんなく平和な日々でした。

当時は200坪あまりの畠を、何一つ分からない私も家庭菜園に精を出し、近所にあげては喜ばれたものでした。
しかし、そんな平和な生活も長くは続きませんでした。
日増しに、妄想、幻覚、暴力が顕著に現れ、私の葛藤もここから始まったのです。

そんな折、『ほほえみの会』を紹介され、どれほど助けられたか分かりません。

当初、皆さんの声を聞くと自分だけが苦労しているのではないと感ずるようになりました。
思いのたけ、自分の気持ちを話しながら、涙がわけもなく流れてしまった事もありました。
アドバイスをたくさんいただき、帰りは何故かほっとして、折れかかった気持ちも、又頑張ろうという励ましに変わりました。

木野先生が『介護は片手間で』とおっしゃられた言葉は難しいけれど、あれは嬉しい一言でした。

私はコーラス、創作ダンス、ストレッチ体操、バレーボール、以前から趣味をたくさん持ち、良き友にも恵まれ、幸せでした。

今まで、自分がやっていた事は間違っていないという自信を改めて確認しました。
あるとき小さな虫が畳にいっぱい居るとか、ベットの脚の方に、男性が二人立って
いるとか、玄関に来ていると言いだしました。これらはみんな夜の出来事でした。

レビー小体型認知症、一体どういう病気なのか本を買って読んでみました。
『私に男性がいる』と言って暴れだしたのも、この頃からでした。
何かにつけてはすべて、男、男、出かけようとして、
私『コーラスへ行ってくるね。お昼ご飯には帰るから』と言っても
夫『お前の後を着いて行ったぞ。男と楽しそうに笑いながら、駅の方へ行ったじゃないか』
歩く事の大嫌いな夫が後をつけるわけもなく、第一練習会場は別方向だったのです。
自分の意にそわなければ手当たり次第、電気コードを引き抜いて、放り投げたり、テーブルをひっくり返したり、お湯の入った魔法瓶やしょうゆ差し、お皿は割れて台所はめちゃめちゃ。とうとう困って近所に住む嫁に来てもらいました。

嫁『あー、あー、おじいちゃん、こんな事したらおかずやらお皿まで割れちゃって』
と言いながら、キレイに片付けてくれました。

買って間もないテレビに自分の湯のみ茶碗を放り投げ画面がびりびりにひび割れると、
一日もたたないうちに買って来いの一点張り。私の気持ちはおさまりません。
孫息子が今までより一回り大きいTVを買って取り付けると
夫『これはいいなぁ、画面もきれいだし、大きく写って』とにこにこ、今までの事
すべて忘れてしまったのでしょうか。忘れたなんて、内心許せませんでした。

冬の寒い夜の事でした。
眠っている私を起こしに来たのです。11時頃でした。
私『お父さん、どうしたの?』
夫は何も言わず、黙ったまま台所の方を指差したのです。
ドアーを開けてもうびっくり座敷、居間、台所が煙でもうもうとしているのです。

慌てふためいて行って見るとそれは大変。流しの中で新聞、広告が山積みになって燃えていたのです。
急いで蛇口をひねり消した後、長男夫婦を呼びました。
玄関を開けるなり、
息子『何だね、これは!!』
私『お父さん、今興奮してるから怒っても駄目。解るように言い聞かせて』

夫は茶の間の肘掛け椅子に座ったままです。
息子、父親の前へ跪くと

息子『親父!!こんな事したら家が火事になって無くなってしまうんだよ。解るよね』
夫『……』無言。  唯唯、放心状態。

寒いけれど、とにかく家中を開け放して煙を外へ出しました。
息子『お袋、マッチ、ライター、包丁、鋏。最小限の物だけ家に置いてみんな始末しよう』

台所のガスの元栓はどこについているか解らないので、それは良しとして……
翌日、煙探知機を三カ所付けてもらいました。
全て終わった時には、朝4時頃でした。

作業衣になっている夫。
『長い間、お世話になりました。ありがとうございました。これから家へ帰ります』
三回も最敬礼して
私『お父さん、家はここだよ』
夫『いや、家はあちこちにたくさんありますから』
と、手でしぐさをして小雨の中を傘もささずにリュックサックに衣類をつめて出て行くのです。

タクシー会社が近くにあるので、どこかへ行っても困ると思い、見つからないように嫁に連絡して、そっとついて行きました。
500メートルほど離れた我が家の倉庫へ入って行くのを確かめると、
嫁『お母さんはここに居て。私が行ってみるから』
と言われ、嫁が一人倉庫に向かって行きました。

それから一時間少々たっても帰る気配はなく、朝職人は来るし、息子の朝食、弁当の事が心配になって、そっと倉庫へ行ってみました。
塀越しに聞こえて来た言葉。

夫『○○(妻の名)はなぁ、俺を一晩泊まりで行かせておいて、男と遊んでいるのだわ。何時もきっとそうだよ』
嫁『いや、いやお父さんねー、良く聞いてね。
  お母さんに限ってそんな事ないってば、、、、。
  お父さんが思い違いをしてるだけ』

大声で笑う嫁の声。
そんな会話が聞こえて来たのです。
朝の忙しい時間に、申し訳なく、携帯電話で
私『もういいから。お父さんを置いて帰って来て』と呼びました。
一時間ほどして夫は、リュックを倉庫に置いたまま、黙って帰ってきました。
“男なんて、居ないのに“私は強く言いたい。

嫉妬妄想か。こんな言い方もあるのかと思いました。
とにかくストレッチ体操に出かける時は、黒のTシャツに黒のパンツだと何の事はなく、ピンクのTシャツだと男の所だと決めつける。すべて着るの物で判断する様でした。
夫婦で収穫した落花生、美味しくゆで上がったので
私『お父さん、お初もの食べてね。殻はこのお皿に入れて』
と、カレー皿の大きな物を出した途端、その日は朝からあまり口をきかず、何が気に入らないのかしらと思っていました。
すると、いきなり窓を開けて笊の中の落下生を前の川へ放り投げようとしたのです。さすがに
私『何をするの』と怒りました。
黙ったまま、私の左の頬を平手打ちした上、今度は大きなお皿を頭へ思いっきり打ち付けてきました。
お皿は木っ端微塵、思わず腰が抜けてへなへなとその場へへたり込んでしまいました。

 大声で泣きながらも、ふと我に返って、あ!!こんな事をしていたらもしかして殺されるかも。
思わず玄関を開けて、泣きながら長男の家へ。
でも我が家の屋敷を離れると何故か、私は近所の手前もあるし、小さい声で泣く。
この100メートル程、この自分の冷静さは一体全体何?と思いました。


一歩、踏み入れた途端、又大声でわんわん。
嫁はびっくり『お母さんどうしたの』
私『お父さんに叩かれた』
頭を指でおさえ、
嫁『いやー、大変すごい!大きな瘤が二個も出来ているよ。薬をつけるからじっとしていて』
その間も泣き通しでした。頭はがんがんするし、
嫁『お母さん、もう家へ帰られなくていいから、ずっとここに居れば…』
夕方まで、横になったままでした。
息子が仕事から帰ると、何時も居ない私がこんな時間にいたので、不思議に感じたらしく、
息子『お袋、何だね。何があったのかね。』
嫁が一部始終あった事を話しました。
息子『しょうがないなぁ。親父を何とか考えないと』
こんな衝撃が重なると、だんだん食欲は落ち、痩せて来るのが解りました。
市の健診で、胃カメラを撮って見た結果、胃癌だと解りました。
この所、6年も続けて胃カメラで異常なしだったのに、やはり介護のストレスだったのでしょうか?
もう迷う事はなし。夫を何とか施設へと決断出来たのです。

毎日、毎日、朝起きると顔色をうかがい、デイへ送り出す。
帰るまでの私の時間といっても、こう食欲が落ちてくると、創作ダンスも、ストレッチ体操も
いままで出来たことが出来なくなると思うと体が動きませんでした。


ケアマネにお願いして夫の行く施設を探してもらいました。
でも暴力をふるうので三島が空いていても何処もお断り、結局裾野へお願いする事になりました。
一方私は静岡がんセンターへ。
癌そのものは小さくても、悪性だったため、順番を待たずに直に手術しました。
私の入院中も夫は職員の腕をかんだり、顔を掻いたりとか、またアンテナを三本折って
別室で拘束されたとか、今まで家でやっていた暴力がそのまま施設へ迷惑をかけている事で
私の心を痛めました。
裾野に四か月。その間二人の嫁、娘が面接に行っても、妻の私は来ないで下さいという
先方の意向で一度も逢うことは許されませんでした。


平成27年3月から三島の特養へ入所出来、今は4日に一度位逢いに行けるようになりました。
お陰で夫も落ち着き、良い笑顔で私を迎えてくれるし、今はほっとしています。
ほとんど一日中、車椅子生活ですので、面会に行った時は歩行器で歩く練習をするし、この頃は大変上手に歩くし、早くもなりました。
職員も優しいし、面倒見が良いので、感謝しております。

木野医師コメント
80代の老老介護。とても仲の良いご夫妻だけに介護者である妻への嫉妬妄想が、妻へ直接暴力に発展した症例です。
レビー小体型認知症に特有の誤認妄想に由来しており、四か月間の入院治療後は介護者も心に余裕を持って面会が出来るため、仲の良い老夫婦に戻れたと言う報告が妻の臨場感あふれた筆致で記されています。