shinsai of 広小路クリニック

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東日本大震災について

 2011年3月11日、太平洋三陸沖を震源として大地震、大津波が発生。多くの犠牲者を出しました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
また、被災地の皆様、ご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。

ひきづづき、節電にご協力下さい。


節電バナープロジェクト 節電バナープロジェクト 節電バナープロジェクト

義援金ご協力、おねがいしています(4月30日で終了しました)


3月16日からクリニックでも『震災義援金募集』を始めましたが、沢山の暖かい患者さん関係者の<志>を頂いております。有り難うございます。

お預かりしました,義援金は郵便局より,日本赤十字に募金させて頂きます。

義援金箱は、当クリニック、受付カウンターに設置しています。

4月30日現在 ¥202.046- ご協力いただきました。

5月2日郵便局より、日本赤十字に送金させていただきました。
沢山のご協力、ありがとうございました。

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震災関連コラム8

『被災した同期生・斎藤君からの手紙』

東松山市で地震と津波の直撃を受けて、一時連絡が取れなくなった斎藤君から、去る7月11日付けでお手紙をもらい、無事であることが確認できたので、「斉藤君第3報」をお届けします。

 彼が開業していた東松山市では人口4万4000人のうち1200名が亡くなりました。幸運にも難を逃れた彼は翌日から半月におよぶ過酷な避難所生活を強いられながら、そこでの救護活動、その後の臨時診療所での医療活動に従事しました。石巻医療圏(人口20万人)では石巻赤十字病院以外のすべての医療機関が震災による機能停止状態をきたし、いわゆる医療崩壊を目にした、と記されています。二人の医師と歯科医師が犠牲になった中で、医療の復興には、1日も早い地域の開業医の復旧が必然であると考え、現地にとどまること以外に選択肢はないと考えた、という彼の決断には同期生として誇らしく思いました。

彼の診療所は構造建築学的に修復可能と判断され、4月中旬より補強、修復工事を開始したそうです。資金的なでき得る限りの工夫をした上で、6月6日より何とか診療可能なところまで復旧できたということです。
診療は再開できたものの、診療所周辺は人家が消失しており患者さんが少なく、本当の復旧には相当な時間が掛かるのではないでしょうか。

 津波により診療所から200メートル沿岸部にあった斎藤君の自宅は全壊し、昼間お一人で家にいたご母堂を亡くされ、さぞかしお辛いのに、医師としての使命を全うした、いやまだまだ続けている斎藤君には本当に頭が下がります。診療所修復にいささかでもお手伝いできるよう集めた同期生からの義援金も生かされたことが、お手紙には書かれていました。

7月17、18日の連休に、仙台に同期生が集まり、斎藤君を励まし、被災地を視察する集まりがありましたことを付け加えます。(私は都合で参加できませんでした。)

広小路クリニック 理事長 木野紀

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震災関連コラム7

『被災地の方にマジックを通して笑いを』

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6月26日未だ明けない空は、降ってはいないが雨雲に覆われている。

若者の輪、外国の方と思われる人の輪、一目でボランティアグループとわかる。
ここ東北道、一関手前のサービスエリアは、震災地気仙沼に向かう
最終打ち合わせの拠点になっていた。
震災から3か月たっていた。急な依頼話で行程は夜行日帰り。
大型ワゴン車にマジック大道具詰め込み男2人女3人で東京都町田駅を夜9時出発。
そのサービスエリアで私たちは時間調整、腹ごしらえをし、仮眠をとった。
土産物屋のマスターから「友達がいる。先月行ってきた。ひどかった。
是非港も回ってくださいね。」と見送られ、高速道を下り一関、気仙沼へ向かう。

あれは?半壊ホテルを目にして全員衝撃を受けた。
それからしばらくはすでに片づけられたのか壊れた家屋は目立たず。
気仙沼に近づくにつれ、テレビ、新聞報道などで知る以上の惨事。
道路は片づけられてはいたものの津波で壊滅状態。鉄骨の山が燦々。
流され、火災で茶色に焼け焦げた車の枠。鉄筋3階建ての枠のみがポツリポツリ。
家屋の土台のみの街の姿。大型漁船の先が天空に向い、あたりには人影なし。
何ともいえぬ気持ちが沈む。

マジックを依頼された鹿(しし)折(おり)中学校体育館へ向う。
港に近い高台に上がる。
こんにちは。どこが入口かな。
中学校構内には仮設住宅、体育館内は段ボールの居住びっしり。
大道具を運ぶ私たちを高齢の方がじっと見ている。「こんにちは」。

私が所属する町田奇術協会は6月11日には町田市民ホールで
チャリティマジックショーを開催し400人のお客様に楽しんでいただきました。

被災地から町田市に避難されている方もお招きすることもできました。
今回の気仙沼の要望にメンバーはチャリティマジックショーの時の半分になりましたが、
できるだけ同じ内容の出し物を中学体育館の舞台でもと考えていました。

が、想像外の状況でした。壇上は支援の方の事務所連絡所。
大型テレビが真ん中に、スタッフの寝床でいっぱいでした。
4分の1くらいの場所を片づけ、イリュージョンも含めたマジック道具を運び、
ショーは無事に終わりました。

舞台の前に乗り出してきたのは子供たち。屈託ない笑顔。
会場のダンボールで仕切られた居住から布団によりかかったり、
横になったりした高齢の方々、娘さん達。
一時の笑いと拍手いただき、よかった。楽しんでいただきありがとう。

しかし、私は今まで体験したことのない無気力感が全体を覆うのを感じました。
一緒のメンバーも同じ思いでした。仮設住宅にも入れず、家族、友人、財産を失い、
不安な日々を送られている方々に向かいあいましたが、演じた舞台からは居住が丸見え、
プライバシーはない。清潔は保たれて、飲料水やお菓子、お弁当はありました。

しかしおじいちゃんおばあちゃんが湯を沸かしお茶を入れる場はないんです。
与えられるばかりでなく、自分たちで動ける場が必要と思われました。
日曜日で、若い方々は自分の力を貸す場に出られているようでしたが、
高齢の方を含め外出もできず、心身ともに病んでいらっしゃる方を
支援するシステムや支援される方等が足りないのではないでしょうか。

個々人の、そしてこの体育館の空間にエネルギーを高めることができたらと
自分の無力さを感じました。
この天空には「気」が存在するのですから、それを基に生命のエネルギーを
高め回復させることが大切だと思います。
笑いが生まれれば人の輪が広がり絆も深まります。
QOL(生活の質)が求められる時期、笑顔が少しでも増えますようにお祈り申し上げます。


阪神の震災地からボランティアで来ていたスタッフの若い女性は数日後に
神戸に帰ると別れ際に言ってました。

その後、朝日新聞7月14日(木)13版「今伝えたい~鎮魂を歩く」欄に
鹿折中学校の避難所にいらっしゃる方の記事がありました。



 唐島 美鶴

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震災関連コラム6

『被災地 宮城支援を通して思うこと』

わたしは震災後9日目に宮城県に支援に行き、人間として大切なことを学びました。

わたしの役割は、避難所訪問と早朝や夜間の病棟勤務でした。姫路から支援の藤本先生と避難所へ行く途中で、避難住民が暮していた荒浜地区に立ち寄り、果てしなくつづく倒壊した家屋の山、無造作にころがる流木、逃げ遅れ波に飲まれた乗用車が主を失い、無造作に残されまるで地獄絵を見ているようでした。訪問した避難所には帰る家を津波で失い途方にくれている人、行方知れずの身内の安否を気遣う人、親族の死を悲しむ人たちが肩を寄せ合い息を凝らして避難生活をしていました。

一方でガソリンがないため訪問看護やヘルパーの訪問機能が麻痺状態状態の中避難所では要介護状態の人が、オムツは尿でびっしょりで進行した床ずれがあり、造設された胃ろうはただれた状態の人でダンボールと粗末な毛布の上に横たわっていました。わたしは胃ろうの処置やおむつ交換をしながら、「明日、この人の介護はどうするのだろうか?」とあたりを見回し、なんともいえない空しさと自分の無力さを感じました。

また、わたしの支援の拠点である被災地区の長町病院は、退院する家を失った患者や避難所で低体温となった高齢者や、自宅で意識不明で倒れていたのを助けられた糖尿病患者などであふれ、リハビリ室を臨時病棟にして患者の受け入れの努力をしていました。しかしここでもガソリンがないために看護を担う職員の通勤に支障が生じ、看護師も泊り込みで何日も自宅に帰れない日々が続いています。

わたしたち外部からの支援看護師が、病院や地域訪問の一端を少しでも補うことができたら、避難所の要介護者や自宅に帰れない要介護者だけでなく、地元の看護師たちの助けになるとおもいます。直接支援の他にも、物資の支援・義援金・節電など、間接的支援などやれることはたくさんあるようにおもいます。  

『いつか東海大地震は来ます』その時にわたしたちが行った支援はまためぐりめぐってわたしたちに帰ってくるものだとおもいます。

訪問看護ステーションほほえみ  高橋 弥生

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震災関連コラム5

岩手県宮古市・山田町での現地活動報告

静岡県社会福祉協議会の方が、岩手県に行かれたことを
ご報告くださいました。



私は、3月下旬と4月中旬からの計2回、期間は各回1週間にわたり、災害派遣のため岩手県へ行ってきました。

静岡市から盛岡市までは距離にして約700kmあり、盛岡市から宮古市までは車で約2時間の距離に位置し、山田町はそこからさらに車で40分ほどかかります。
宮古市、山田町ともに海沿いの沿岸部付近の津波被害が大きく、海岸沿いを車で走りながら目に飛び込んでくる被害の惨状は、ただただ言葉を失うばかりです。とにかく信じられない光景がそこには存在しています。
活動期間中に、被災された方々のお話しを聞く機会が何度かありました。
大変辛い経験をしたばかりであるにもかかわらず、自らがボランティアとして活動をしている方もいて、自分たちの手で復興していくという強い決意に心を打たれました。

静岡県社会福祉協議会と静岡県内の市町社会福祉協議会の職員は、
岩手県災害ボランティアセンター本部、宮古市災害ボランティアセンター、山田町災害ボランティアセンターの運営支援を行っています。

災害ボランティアセンターとは、被災地にある各市町村社会福祉協議会が中心になり、NPOや福祉団体、ボランティアグループ等多くの人が関わりながら協働で運営をし、被災者からの要請を元に、ボランティア活動内容の調査をし、災害ボランティア活動希望者と被災地でボランティアをお願いしたい人たちを「つなぐ」ことを主に行っています。

現在の現地でのボランティア活動の主な内容は、被害家屋の片づけや清掃、瓦礫の撤去作業、子どもたちの遊び相手、物資の仕分け作業等です。
ボランティア参加者は主に被災地市内在住の方や岩手県内の団体登録している方々が中心です。県外からは団体ボランティアが活動をしています。

支援に駆けつけた私たちができることは何か。まずは被災地の方々と一緒になって、必要な支援を考えていくことが大切な視点です。
被災地や被災者に寄り添った支援、活動を行うことが求められます。
今回の震災では被害が広範囲に渡っており、復興するまでには時間も要し、今後も多くの人手が必要とされます。
これからボランティアとして現地で活動を考えている方は、まずは現地の災害ボランティアセンターや、岩手県社会福祉協議会のホームページ等で、現地からの情報を正しく入手して活動に備えていただきたいと思います。

 被災地の復興支援には様々な形で関わることができると思いますので、自分ができる支援は何であるかを考え、ぜひ行動に移していただくよう私からもお願いをいたします。

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震災関連コラム4

被災地の現状

仕事で被災地に実際行かれた方に、様子をうかがいました。

建設業 男性  
3月12〜14日  3月17〜30日  4月1〜6日
4月21日〜と、被災地方面へ、復旧に行かれています。


被災地の状況をお知らせします。
福島のいわき市から先、原子力発電所近辺までは、国道6号線、JR常磐線は津波と、地盤沈下により、海に沈んでいます。
道路と線路の上を波がザブーン,チャプーンとしています。
その近辺は、何とも言えない臭いがします。水と泥が腐ったような感じです。

テレビで見るものと、現実とではこれほどまでに違うのかと感じます。

10人程で復旧に行ったのですが、調査の為に現場に入ろうとしたところ、原発の影響で戻されました。デジカメも持っていましたが,あまりの悲惨な状態に誰も写真を撮る気にはなりませんでした。

自分の目線でリアルに見ると、とにかく酷い状態で、現地の臭い、雰囲気、目に映る立体的な風景は表現できません。様子はテレビなどでわかりますが、臭いと雰囲気が加わると、何とも言えません。

原発の影響で、沿岸地域に入れない為、内陸部郡山方面に復旧の場を移しました。内陸部もあまり、報道されていませんが、道路は陥没したり,うねったりしている所があります。

開通した高速道路(東北道)も応急処置をして対応しています。線路関係は、橋が歪んでいたり,隆起していたりして、直線がどこかわかならい状態でした。

3月25日以降にやっと、一般の物資も届くようになり,それ以前はガソリン,水などかなり不足な状況でした。福島〜宮城境でそのような状態なので,北の方に行くともっと酷いと思います。

復旧中に、宿泊先で兵庫県,広島県の消防署の人達に会いました。阪神大震災時に助けてもらったので,いち早く来た,とのことでした。
帰りの高速道路も、北へ向かうパトカーの大行列でした。各県が手伝いに行ったと思います。

4月6日から入学式が始まるので,それまでに出来る所は何とか復旧したい。
子供達の笑顔が一番の励ましになるから、とのことでした。

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震災関連コラム3

木野理事長の同級生・斎藤君のその後

同期会の札幌の幹事・関谷君から東北地方大震災と津波による被害を受けた同級生の消息を知らせてもらいました。
前回お知らせした斎藤君についても詳細が分かりました。
東松島市で外科系のクリニックを、ご子息と二人で開業していた斎藤君は、自宅兼診療所が津波被害にあい、使い物にならないほどの損害を受けたにも拘らず、家族、職員一丸となって、これまでは救護所で医療活動を続けていたそうです。
本当に頭が下がります。同級生なので本人は勿論、奥様も昔から良く知っているのですが、すごいなあと感動しました。
斎藤君は同級生幹事に連絡をしてきて、7月の仙台、松島湾での同期会は中止してもらいたい、資料の全てを津波で流されたので、参加者に「中止の連絡」を幹事からお願いしたいと。
さらに斎藤君は「仮診療所」を建てて医療活動を続けたいと言っている。
そこで、仮診療所の建設を同級生で応援したいので、「斎藤クリニック」(元は鳴瀬中央病院と言っていた)のための義援金を募集したいと、関谷幹事から連絡が来たのです。私は手紙をもらい翌日、銀行から義援金を振り込みました。

私は広小路クリニックのホームページで「東日本大震災について」を掲載することにしましたが、今原稿をお願いしているのは、被災地に自ら救援活動に行って来た私の知り合い、クリニックの患者さん達です。
皆さん大変な時間を過ごしているので、果たして原稿を書く時間があるかどうか、気になりますが、多少時間のずれはあるかも知れないが、必ず掲載していきますので、お待ち下さい。

日本精神科診療所協会は、地震、津波発生後、あまり時をおかず、先ず2人の副会長と神奈川県支部の会員の3人で被災地に入り、現場を見て現地のメンタルクリニックを訪問。
院長に会って「何が足りないか」聞き取りを行い、理事会に報告、義援金募集を決定しました。
4月20日『義援金ご協力とお礼』のファックスが全国1500名余の全会員に届きました。
「義援金4月13日現在の金額2366万3882円」でした。


平成23年4月 18日 木野理事長

震災関連コラム2

計画停電で在宅医療は大わらわ

私は静岡県東部地区で訪問看護師をしています。以前、広小路クリニック・ホームページの『ほほえみの会』のところで、在宅でのいろいろな話しを書かせていただきましたが、しばらくお休みをしていました。
今回、この大震災にあたり訪問看護ステーションがどのように対応したか、今何が不安か、今後の対応はどうしていくかなどを報告します。

 3月11日、私は事務所で大きい揺れを体感しました。すぐ、津波警報もありスタッフや利用者さんの安否確認のため、携帯に連絡しましたがつながりません。固定電話でやっと確認ができました。後はテレビをみて情報収集と津波の脅威に言葉もでない状況でした。
 夕方、スタッフが利用者さんの情報をもって帰り、無事な顔をみてほっとしました。翌日は土曜日でしたが1日研修日になっていたので、スタッフ全員で自分たちがしなければならない、災害の対応について検討しました。

 翌週から計画停電について国の発表がありました。これを聞いて、在宅療養している人たちのことが何も触れられていないのに怒りを感じました。医療を「病院から在宅に」国の方針を変えてずいぶん経つのに、大事なときにこの対応です。今、在宅の現場は電気を使う器械だらけです。人工呼吸機、在宅酸素、吸引器、褥瘡予防マットなど、電気が途絶えれば即、命に関わるものがあります。私の訪問看護ステーションでも人工呼吸器 3名、在宅酸素15名など多くの方々が機械を使って療養されています。

 人工呼吸器は命に直結しますので、内部バッテリーがあり、必ず外部バッテリーも準備しています。病院とも連携をとり緊急時は受け入れ体制の確認をしました。
在宅酸素は携帯ボンベに切り替えです。携帯ボンベが無くなると病状が悪くなるので、業者の方も各、利用者さんに連絡をとり、必要な方には毎日ボンベの交換をしてくれています。
問題は吸引器です。バッテリーが付いている物を使っている人は少ないため、頻回に吸引が必要な方は交換しました。全員が交換できないため、停電の前に充分吸引をして、あとは50ccの注射器とチューブを使って手動で吸引出来るように準備しました。

 認知症のひとり暮らしやご夫婦の方も多いので、説明や準備に大変手間がかかります。介護保険制度ができいろいろなサービスを利用している方が多くいます。ケアマネ、訪問診療医師、訪問看護師、医療機械業者などから同じような電話や説明があり、少しでもアドバイスが異なると、どちらを信用してよいか混乱する方もいました。これは今後の課題です。

 計画停電時間のサービスは時間を変更しなければ入浴介助もできません。時間調整に時間がかかります。信号が消えてしまうのも恐怖でした。警察官も出ていない交差点は恐る恐る前進です。

 まだまだ続く計画停電、利用者さんや介護者さんに協力していただきながらスタッフは明るく奮闘しています。被災地の訪問看護師の方々の苦労を考えると、私たちの苦労など小さなことです。うちのブログをみて資料がほしいと仙台の訪問看護ステーションから連絡がありました。いろいろな訪問看護の工夫や日常をブログで発信していたのが役にたってよかったです。自分たちでできることを被災地のためにやっていきます。


平成23年4月 4日 
訪問看護ステーション千本 管理者 桜井悦子

訪問看護ステーシヨン千本のblog

震災関連コラム1

木野理事長の大学同級生の震災被害

3月11日午後2:46東北地方太平洋沖地震が起こりました。
マグニチュード9.0は日本の史上初めての大規模地震です。
さらに津波による被害が報道されるに連れて、これまで経験のない大災害であることが日を追うごとに伝わってきました。
宮城県東松山市の斎藤君の安否が心配になり、テレビや新聞で注意して調べたところ、彼の自宅兼診療所は津波で根こそぎ流されたに違いないと思いました。

大地震から6日目、札幌の同期会幹事S君からメールが来ました。
「岩手、宮城、茨城の同期生4人のうち、消息が分からないのはいわき市のI君だけで、斎藤君は家族、職員とも無事で不眠不休で救護に当たっている。」と。

彼は今年7月に同期会の幹事を引き受けて、仙台市内、瑞巌寺、松島湾など観光名所を巡る2泊3日の予定を、すでに第1報として私達に送ってくれていましたが、松尾芭蕉も感嘆したという松島湾は津波で姿を変えてしまい、当然ながら楽しみにしていた同級生(奥様方も参加)の集まりは消えました。
私は斎藤君に、無事であるという第1報を受けて、「内容はいらない、名前だけ返信してくれ。」と電子メールを送ってみましたが、未だに返信はありません。

その後、東京のM君や千葉県我孫子市O君の働きから、Googleの立体地図で、斎藤君の診療所も自宅も津波に流されず残っていることが分かりました。斎藤君の奥様からM君の奥様に「無事です。救護活動に忙殺されて皆さんに連絡する時間がない。」とメールが入り、情報の真実性が確認されほっと胸を撫で下ろしました。3月20日の日曜日のことです。

『計画停電』も18日、22日と実施され、患者さんも職員も大変な想いをしていますが、<津波で家を根こそぎ流された被災者>の心情を想像して長期戦になりますが、節電に心がけ不便を分かち合いましょう。


平成23年3月 24日 
理事長 木野 紀