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NO19-1 『実母と義父母の介護は3人3様の終活でした〜今ふり返る〜』

被介護者 義父86歳 要介護2 / 義母86歳 要介護3 / 実母77歳 要介護4介護者 嫁(娘) 42〜51歳

夫の両親と実母の介護が終わり数年が過ぎ改めて振り返ってみました。

 

私達が「広小路クリニック」にお世話になったきっかけは、同居している義父が同じ話を何度も繰り返すようになり、

もしかしたら認知症?と心配した夫が、早い段階で認知症の薬を飲ませると進行が遅くなるとテレビなどで

聞いていたので、「広小路クリニック」のホームページをネットで見つけたことからでした。

 

 

 

2006年、遠方で一人暮らしの実母の友人から母が救急車で入院したと連絡を受けました。

いままで元気だった実母が脳梗塞で右半身麻痺になり、私はその日から車で片道45時間ほどの

遠距離介護生活に入ることになりました。

半身麻痺の実母の入院~リハビリ生活の間一生懸命お世話をしていたのですが、

ある日看護師さんに「やってあげ過ぎだよ、本人にやらせないと回復が遅れるだけ。」と言われ、

私は今思えば当たり前のことを何も知らなかったので、その後介護講習会に参加したり

介護雑誌を読んだり情報収集をし始めたことを思い出します。

 

 

 

友人のいる地元に残りたいという強い希望があった実母はリハビリを頑張り、

左手で字を書いたり介助箸でご飯を食べたり、介助者がいれば杖で歩けるくらいに回復し

要介護2で一人暮らしができるまでに回復しました。

ところが2年後寒くなり始めた早朝に睡眠薬で朦朧としているなか自宅で転倒し、

麻痺側の腕や大腿骨など3箇所を骨折し入院。

手術とリハビリをしましたが車椅子生活となったため一人では暮らせなくなり、

本人の意向もありすぐ対応できる静岡県に引き取ることになりました。

 

 

 

「実母の終の棲家を」と考え、近隣市町の特養施設を夫と一緒に10箇所以上見学し、

当時100200人待ちが当たり前でしたので5箇所の施設に申込みました。

特養の空きを待つ間、ひとまずリハビリもできる老健施設に入所させたいと思いました。

近隣住民でないと入居に条件があるところが多い中、20095月に自宅からほぼ近い清水町の

老健施設に受け入れてもらうことができました。

そこで実母の自宅を処分し、新潟県から静岡県に連れてきました。

 

要介護2の義父は、がんの再発、大動脈乖離による緊急手術、弓部大動脈瘤の置換手術を受けました。

また認知症の進行により、入院中もどこにいるのかを忘れているので、体に刺した管という管を引き抜き

入院着やシーツを血で汚すこともよくありました。

その後も手術を受けたことを忘れ受診するのも一苦労。

自宅にいても黙って姿が見えなくなることや、車の免許証を返納したことを忘れて車で出かけてしまい

警察に探してもらったこともありました。

もともと短気な義父はアリセプトを飲み始めてから義母との口論が頻繁になり、

気に入らないと物を投げたり、二世帯住宅の2階に上がってきてはドアを蹴ったりしはじめ、

猫好きの義父だったのに、飼い猫がシャーッと怯えるようになるくらいでした。

 

 

 義母と一緒に木野先生に相談に乗っていただき、義父の症状をお伝えしたところ

すぐ薬を変えていただき速やかにおとなしくなりましたが、その後逆に効きすぎて

引きこもりが始まりデイサービスへ行くことを拒否するようになりました。

 

 

要支援の義母は、狭心症、脊柱菅狭窄症、痛風、肺MAC症などを患っていたので

強い薬を含む何種類もの薬を服用しており、20114月ごろからせん妄状態による言動が始まりました。

例えば、未明に煙感知器が鳴動し慌てて階下に行くとリビングの卓上で電気コンロから

火の手が上がっており危うく火事になりそうになったり、

車を大きくぶつけたことを忘れてしまったりなど問題行動を起こすようになっていました。

 

 

 

私が「ほほえみの会」に参加させてもらうようになったのは、

20115月に函南町の特養に入所していた要介護2の実母が二度目の脳梗塞で緊急入院したころ、

今思えば、3人の介護がそれぞれ進んでいたことによる自分でも気づかないストレスがきっかけです。

 

 

 

私はそのころから夕方になると急に体が重く動けなくなり家事ができなくなる日が増え、

さらに6月には甲状腺疾患を罹患しました。

夫は家に戻っても夕飯ができていないので困り果て(笑)私を木野先生のところに連れていきました。

その時に木野先生に「ほほえみの会」に入れていただきました。

 

 

 

義父は最後循環器が急変し入院中に亡くなり、次に実母が老健にて老衰で、

義母もグループホームにて老衰で亡くなり、ちょうど半年ごとにお葬式を行いました。

  私達の介護生活は、実母で突然始まり義母で突然終わりました。

 

 今思うことは、親の介護により33様の人生のしまい方を見ることができ、

 良かったということです。

 

 

「ほほえみの会」では私と同じように介護中または経験者の方が、

熱心に話を聞いてくださることで気が楽になり、

皆さんの介護のお話を聞くことでたくさんのヒントを貰えます。

さらに先生方の最新の認知症に関わる様々な情報を教わることができます。

 

 

 

介護の悩みや疑問について、ほほえみの会の皆様や先生方には、

本当にたくさんの解決方法やアイデアを教えていただきました。

特に木野先生には、御殿場市のケアハウスに入所していた義父の診察や、

当時の三島社会保険病院に入院中の義母を診察しセカンドオピニオンをしていただきました。

さらに三島市のグループホームに入所していた義母の最後の時には深夜にも拘らず

本当にお世話になりました。心から感謝申し上げます。 

 


[木野医師コメント] 

 

お疲れ様でした。

そうなんですよね、介護はある日突然始まり、慣れて少し自信がついてきた頃に突然終わるのです。

親や義理親の介護がそのうち始まるのだと、頭では解っていてもその時期を正確に知っている人は居ません。

ましてや介護の内容まで想像できません。リハーサル無しにいきなり実習が始まります。

 

Uさんはそういう介護を手探りで夫の協力を得て実践しました。 

心が折れそうになる時、ほほえみの会の現役介護者、介護の終わった卒業会員の体験者ならではの声掛けが、

どれだけ勇気を与えてくれたことか、側で見て居て分かります。 

数年を経て「振り返り」の文章を寄せていただき有難うございます。 

 

きっと現役介護者、さらに今後入会してくる新米介護者に勇気を与えてくれると信じて居ます。